〔日本國際志工2016心得〕洪培綸|國立政治大學 英國語文學系 四|富士山YMCA Mt. Fuji YMCA

臨走前在正門的合照

記得離開的那個早晨,陰冷地像是在深秋。那面往常,一入夜便會爬滿金龜子,甚至連到了早晨都還會有數隻逗留在上的紗門,如今滿是小小的、以往只會在連通住宿區的走廊外的蜘蛛網上出現的小小露珠。金龜子們存在過的痕跡已幾乎徹底被抹除。而再過不久,我們曾經在這裡生活過的痕跡,雖然不會像金龜子們那麼快,也會隨著我們的離開,以及時間的摧殘,慢慢淡化,直至完全消失。現在想來還真是有點諷刺,畢竟我們這一個月來的工作之一,便是消除掉人們曾經出現在這裡的痕跡。
        篠原さん和白金さん一如往常拖著年邁卻硬朗的身軀,早早便來到營地,準備開始他們一整天的掃除工作。雖然過不久我們便在前往新富士車站的路上,得知如此辛苦的工作,時薪竟然只有八百日幣,但能在離開前看到陪伴了我們幾乎一整個月的身影依然令人雀躍。遙想一個月前從橫濱經過三個多小時車程來到富士山營地的第二天早上,便是由ゆき、石川さん、篠原さん和白金さん四位平常負責打掃的人來帶領著我們打掃,從澡堂到食堂、從客房到小木屋。天真的我們以為,打掃並不是常態,偶一為之即可。殊不知,只要有客人離開便得打掃客人使用過的房間,有時甚至連續兩三天都得打掃。真的很累時,我們會自嘲為台傭(但這情況其實很少見)。雖然辛苦,但他們真的很親切,時不時便會偷塞東西給我們吃,甚至在八月九號時還為我們辦了一場小型的炒麵大會。那炒麵的味道,至今還是令人回味不已。
親切打掃人員趴兔 很像職人的是石川桑
這個營地很特別,在這裡有極端忙碌以及極端空閒的日子。完全沒客人時,到了晚上,連營地負責人あびすけリーダー和ゴリラリーダー都不會在;但在辦營隊忙碌時,卻又是從早上六點多到晚上九點都不得閒。
客人、小朋友們以及リーダー(隊輔)、駐在リーダー們來來去去,讓我淺嚐了所謂一期一會的精神。我們並不是隊輔,只能算是營地的工作人員,因此很少有直接帶小朋友的機會。但小朋友們很乖、很主動,甚至還有得知我們是台灣人之後直接跑來找我們交談的。尤其是一個在為期十一天的營隊期前,從橫濱YMCA來的チアダンス的合宿。這個合宿全部都是女生(因為是像啦啦隊),他們甚至主動邀請我們跟他們一起玩仙女棒、一起在房間裡玩枕頭大戰。然而,隔天卻就得分離了,雖然小朋友們一直說著再見,但,怕是永遠都不會再見了,只能把這僅有一次的相遇放在心中。為期十一天的營隊期,除了我們和兩位營地負責人,還有很多停留期間不一的駐在リーダー,也就是營隊承辦方的工作人員。其中,還包括了ジュニアリーダー,也就是青少年工作人員,是來實習營隊的各種事務,以熟悉日後當隊輔時所需面對的各種情況的高中生。其中有三個是整個營隊期十一天都待在富士山營地的。兩個男生一個女生。有一個男生上中華學校,有時會用中文與我們交談,本身個性也比較開放,因此比較早跟我們熱絡起來。但另外兩個人,不知是因為日本人對外國人的戒心,還是因為本身個性的關係,直到最後一個營隊,也就是最後三天才漸漸跟我們熱絡起來,因此相當難能可貴。然而,時間到了他們還是得回去,儘管得來不易,依舊只能把回憶放在心中。

最後,我想拿一句我們在營隊期間學到的好幾首歌裡的一兩句歌詞來說,「雖然,這只是漫長的人生裡的其中一次際遇,」但在這裡遇到的每個人,無論是負責人、リーダー、駐在リーダー還是小朋友,每個人都很有耐心地聽我說著不道地的日文,甚至有一次,跟著小朋友們一起去健行時,小朋友還說我的日文除了有點奇怪以外,發音很不錯,當時簡直是受寵若驚。而我終於開始對認識的駐在使用一些只有日本人才會用的語助詞時,卻又一樣只剩下四天不到的時間就得離開了。好不容易一群人快快樂樂地開了一個小型的章魚燒派對,卻已經是離別的前夜。我想,只能在心中默默哼唱著「讓我們相約再在營隊相見吧!

ハイキング到達目的地陣馬の滝全景


別れの朝。天気は晩秋ほど寒く、湿度も高かった。いつも夜になったらすぐカナブンまみれになってしまうその網戸は今日、普段はクモの巣の上だけでみられる雫に覆われている。カナブンがその上にいた跡は、もう雫に流されている。俺たちの、ここに長い間に泊まっている跡も、俺たちの離れと伴い、だんだん時間に流されていくだろう。皮肉だよね、だって、俺たちの仕事の一部は、人々がここに泊まっている跡を拭き取ることだ。
篠原さんも、白金さんも、いつも通り、元気だけど老いた体で早めにキャンプに出勤した。一か月前に、その距離は車で三時間以上もかかる横浜から富士山YMCAにたどり着いたその翌朝、ゆき、石川さん、篠原さん、白金さんが俺たちを連れて、部屋掃除の基本を教えてくれたのだった。風呂場から食堂まで;A、Bの部屋からCのキャビンまで。あまかった俺たちは、部屋掃除はたまにやればいい仕事と思ったが、実はお客様がチェックアウトするたびにやらないといけない仕事だ。たとえ連続の三日間もお掃除の日もあった。つらいなと思う時もあったけど、彼らは本当に優しい人だ。時々にヨーグルトをくれたのはともかく、八月九日に小型の焼きそばパーティーまで開催してくれた。その日本一(富士Yは富士宮に位置する)の焼きそばの味は、まだ脳裏に焼き付いている。
富士Yは特別なのだ。ここには、極に暇な時も、忙しい時もあるんだ。お客様が全然ない場合は、責任者のごりらリーダーも、あびすけリーダーも夜になったら、うちに帰っちゃうのだ。忙しい時は、朝6時ごろから夜9時ごろまでずっと仕事だ。
出發前說要拍的日出 鑽石富士


お客様、子供たち、リーダー、駐在リーダーたちは来たり帰ったりしていた。俺たちは、少々、一期一会というスピリットを感じた。リーダーじゃなくてただのキャンプのスタッフだった俺たちは、直接に子供たちと遊べる時は少なかった。だけど、日本の子供たちはおとなしいが外向である。俺たちは台湾から来たと聞いて俺たちに話しかけることもあった。特に十一日間のキャンプ期間の前に富士Yで合宿していた横浜Yから来たチアダンスの子供たち。チアダンスだから女の子しかいなかった。彼女たちは一緒に花火しようと誘ってくれて、彼女たちの部屋まで入らせてマクラ大戦に誘ってくれた。しかし、その翌日は別れを告げざるを得ない。彼女たちはずっとずっとまたねーまたねーと言ってくれたが、もう一生会えないかもしれない。ジュニアリーダー、すなわちリーダーになるために事前にキャンプのいろいろを体験しておく高校生との出会いもそうだった。キャンプ期間の十一日間でずっと富士Yにいたジュニアリーダーは三人いた。女の子一人と男の子ふたり。男の子の一人は中華学校に通っており、すぐ友達になったが、残りの二人は最後にキャンプの前までずっとあまり付き合わないままだった。やっと最後のキャンプで仲良くなってきたが、間もなく彼らが帰っちゃうんだった。大事な友情だが、心の深いところに収めるしかできない。


最後には、キャンプで覚えてきた多数の歌の中の歌詞で話したい。「長い人生の、一つの出会い」だが、富士Yにいた一か月間で出会ったみんなが、責任者も、リーダーも、駐在リーダーも、子供たちも、俺のうまく話せない日本語を聞いてくれて本当にうれしかった。しかもある日、子供たちと一緒にハイキングに行くとき、子供たちが俺の日本語は少し変だが発音はいいですよと言ってくれた。子供に言われたが、とんでもないことだった。やっと日本人らしく「さ」とかの助詞で知り合いの駐在リーダーに話しかけて見始めたが、富士Yから離れるまで四日しか残ってなかった。屋とみんな和気あいあいでたこ焼きパーティーを行ったが、もう富士Yにいる最後の夜だった。人生って、そういうものだ。心の底で、「まだいつかキャンプで会いましょう!」を鼻歌するしかできない。

營歌ねねね
親切打掃人員趴兔 很像職人的是石川桑
與親切打掃人員的合照 粉色衣服的是篠原さん藍衣服的是白金さん
最後一次營火晚會
相機拍下的星空
前往富士山營地時與ごりらリーダー的合照
和チアダンス小朋友玩的枕頭大戰
到達營地第一天在入口的合照

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